2009年05月03日

◆忌野清志郎さんが死去

2009年05月02日
〜RCサクセションのボーカル〜
< 05/02 23:38 共同通信> より

 

ロックバンドRCサクセションのボーカルとして「雨あがりの夜空に」などのヒットを放った歌手の忌野清志郎(本名栗原清志)さんが2日午前零時51分、がん性リンパ管症のため東京都内の病院で死去した。58歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行う。一般の弔問を受け付ける告別式は9日午後1時から東京都港区南青山2ノ33ノ20、青山葬儀所で。喪主は妻栗原景子さん。

2006年7月に喉頭がんと診断され、入退院を繰り返しながら治療していた。

高校在学中にフォークグループとしてRCサクセションを結成し、1970年デビュー。「ぼくの好きな先生」(72年)がヒットした。

70年代半ばからは、エレキギターを導入してロックバンドに。シンプルな言葉でつづった歌詞を泥くさく歌い上げるスタイルが受け、「トランジスタ・ラジオ」(80年)や、ソロとして坂本龍一さんと共演した「い・け・な・いルージュマジック」(82年)など、ヒットを連発した。派手な衣装とどぎついメークも親しまれた。

ステージ上で「愛し合ってるかい?」と叫ぶなどとっぴなトークが人気で、社会派の論客としても活躍。88年には反原発の曲を含むアルバム「COVERS」を所属レコード会社が発売中止。急きょ別会社から発売する騒ぎになった。

RCサクセションは91年に活動休止。90年代以降は、ソロとして「パパの歌」をヒットさせたほか、演歌歌手の坂本冬美さんやジャズミュージシャンらとジャンルを越えた音楽活動を続けていた。*自転車愛好家
 東京都内の仕事先には自転車で通うほどで、「2005自転車名人」にも選ばれた。チームLSD(Long Slow Distance)を結成し、奥の細道自転車ツアーやホノルル・センチュリーライドなど長距離サイクリングに挑戦している。愛車は総制作費160万円のロードレーサー「オレンジ号」。2005年、オレンジ号が盗難に遭い後日発見されたことが報道され話題になった。自転車旅行の記録などからなる著書『サイクリング・ブルース』もある。

*絵の才能
「音楽で生計を立てられなければ絵描きになるしかなかった」と本人が言うほど画才があり、自身のアルバムジャケットや書籍の表紙などを描いている。毎年恒例の日野高校OB展にも作品を出品している。なお、初期のRCサクセションのヒット曲「僕の好きな先生」は、忌野が日野高校に在学していた頃の美術教師がモデル。

作品にブーアの森(2002年、TOKYO FM出版刊)がある
原作(文)をせがわきり、絵を忌野清志郎がそれぞれ担当。

*闘病生活
2006年7月、公式ウェブサイトにて喉頭癌であることを発表。治療のため入院生活に入る。

2007年12月8日、日本武道館での『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ』に出演。ファンに完全復活を印象づける。

2008年2月10日、日本武道館にて『忌野清志郎 完全復活祭』を開催。全24曲を歌いきり、武道館を埋め尽くした13,000人のファンを心酔させる。後日、大阪フェスティバルホール、京都会館第一ホールにおいてそれぞれ追加公演を行う。

2008年7月14日、癌の左腸骨への転移が判明したことを公式ウェブサイトで発表。夏の野外フェスティバル、ライブはすべてキャンセル、再び治療に専念する。

2009年5月2日午前0時51分、癌性リンパ管症(癌細胞がリンパ管を塞栓したことによる肺の湿潤化)のため死去。満58歳没。

安らかに!早すぎる!
posted by 音の旅人 at 13:48| 大阪 ☁| Comment(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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