2009年05月04日

◆JOJO・太融寺開店の日

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JOJOの太融寺開店は
1971年(昭和46年)3月2日。
翌3日7:00PM 西山満カルテットLIVE
6日(土)7:00PM 古谷充カルテットLIVE、
同日深夜12:00〜翌朝5:00 ジャムセッション
この月から毎週水曜日 西山満カルテットLIVE
JOJOの様相が一変するのは、東京からきたNEWJAZZの集団シロガラスのLIVEをはじめてからのようだ。
メンバー:江夏健二(P)山本公成(SS)佐藤康和(DS)その都度ゲストが加わる。
7月にはこの他、安藤勉(G)トリオ、緒方かずやトリオ、長谷川元伸と西山満G、なんと当時のLIVEチャージ¥150
この開店の年にJOJOで演奏したミュージシャンは、他に、
沖至、藤川義明、翠川敬基、高木元輝、吉田正、有田数朗、阿部薫、小野勉(現在松山のお寺の住職)等々である。
調べてみると懐かしい資料が出てくるものだ。

この太融寺JOJOのお宝写真は、和歌山の歯医者さん?内藤一成先生がミクシーのコミュニティ「JOJOを偲ぶ会」に掲載してくれたものです(MIXIでは軽茶さん)
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posted by 音の旅人 at 17:34| 大阪 ☁| Comment(0) | 音・昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月03日

◆JAZZ喫茶「JOJO」の名前の由来

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大阪のJAZZ喫茶「JOJO」の名前は、ママの市子さんが大のビートルズ好きで、ゲットバックJOJOから付けたもの。
ホワイトジャケットには、たまらない哀愁。

アレサフランクリンのエリナリグビーは絶品。
これを聞いてビートルズファンの多くがJAZZにも興味を持った。
開店当初(大阪駅前第一ビルの時代)は、サージャントペパーをよくかけていたな。
それから、LIVEもできるように太融寺に移転。
アルテックのスピーカ、エトナの真空管アンプ、ラックスの予備アンプにティアックのLIVE録音用テープレコーダ、グランドピアノまで置いてどうするの。
この当時録音されたテープはどこへ行ったのかな。
ママの思惑と違って、どんどんニュージャズに邁進、学生運動の連中も集まってきたな。
移転した後の年度は、金キロウ、浅間山荘など忌まわしい事件の多い時代だった。
posted by 音の旅人 at 17:23| 大阪 ☁| Comment(1) | 音・昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

◆忌野清志郎さんが死去

2009年05月02日
〜RCサクセションのボーカル〜
< 05/02 23:38 共同通信> より

 

ロックバンドRCサクセションのボーカルとして「雨あがりの夜空に」などのヒットを放った歌手の忌野清志郎(本名栗原清志)さんが2日午前零時51分、がん性リンパ管症のため東京都内の病院で死去した。58歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行う。一般の弔問を受け付ける告別式は9日午後1時から東京都港区南青山2ノ33ノ20、青山葬儀所で。喪主は妻栗原景子さん。

2006年7月に喉頭がんと診断され、入退院を繰り返しながら治療していた。

高校在学中にフォークグループとしてRCサクセションを結成し、1970年デビュー。「ぼくの好きな先生」(72年)がヒットした。

70年代半ばからは、エレキギターを導入してロックバンドに。シンプルな言葉でつづった歌詞を泥くさく歌い上げるスタイルが受け、「トランジスタ・ラジオ」(80年)や、ソロとして坂本龍一さんと共演した「い・け・な・いルージュマジック」(82年)など、ヒットを連発した。派手な衣装とどぎついメークも親しまれた。

ステージ上で「愛し合ってるかい?」と叫ぶなどとっぴなトークが人気で、社会派の論客としても活躍。88年には反原発の曲を含むアルバム「COVERS」を所属レコード会社が発売中止。急きょ別会社から発売する騒ぎになった。

RCサクセションは91年に活動休止。90年代以降は、ソロとして「パパの歌」をヒットさせたほか、演歌歌手の坂本冬美さんやジャズミュージシャンらとジャンルを越えた音楽活動を続けていた。詳細>>偲ぶ
posted by 音の旅人 at 13:48| 大阪 ☁| Comment(0) | 日々雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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